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赤石 竜我さん(東京2020パラリンピック競技大会 銀メダリスト/車いすバスケットボール)

赤石竜我さんの写真

プロフィール

名 前

赤石 竜我(あかいし りゅうが)

生年月日

2000年9月11日

出身地

埼玉県

所 属

日本体育大学/埼玉ライオンズ

ポジション/クラス

2.5クラス

◆令和2年度東京アスリート認定選手

車いすバスケットボール男子日本代表は、東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会 )にて、史上初の銀メダルを獲得しました。躍進したチームの最年少選手として、厳しいディフェンスを武器に活躍したのが赤石竜我選手。今回は、さらなる飛躍に期待がかかる赤石選手にお話を伺いました。

車いすバスケットボールを始めたときの印象を教えてください。

 5歳のときに病気にかかり車いす生活が始まり、中学生になってから本格的に車いすバスケットボールを始めました。その当時、自分では車いすの操作に自信がありましたが、いざバスケ車(競技専用車いす)に乗ってみると、思うように動かせなくて、すごく戸惑いました。最初は全然リングにボールが届かなかったので、当たり前のように遠くからシュートを打って決める選手を見ていると、すごいなと思いました。それが2013年のことで、ちょうどこの年に東京でのオリンピック・パラリンピックの開催が決まり、僕の中では運命的なものを感じました。だから競技を始めたときからパラリンピックに出たいという思いがありました。

最高峰の舞台を目指すのは大変なことだと思います。夢を叶えるために必要なことはどんなことだと思いますか?

 今にして思うと恐れ多いのですが、競技を始めた頃から自分の夢として「日本代表になりたい」、「東京パラリンピックに出る」ということを言葉にしていました。強化指定選手に入った後も、「目標はメダル」ということをずっと言ってきましたし、目標を口にし続けてきたことが、大きな力になったのではないかと思います。

赤石選手の座右の銘でもある「有言実行」ですね。

 そうですね。僕は口だけになるのが嫌いです。小学校の国語の授業で、好きな諺(ことわざ)を調べるという授業があって、僕が選んだのは「言うは易く行うは難し」という諺でした。根っからそういう考えなのだと思います。

競技を続けてきたなかで、挫折を経験することはありましたか?

 挫折しかけたことは何度もあります。2016年に中学校から高校に上がるときはすごく苦しんで、バスケットボールに対するやる気を失っていた僕の姿勢を見た父親と衝突したこともありました。

苦しい時期をどのように乗り越えたのですか?

 苦しくても辞めなかった一つの理由は、後悔したくなかったからです。でも、このまま遠い先の夢を追い続けていくのは辛いと思ったときに、僕の中で一つのゴールを決めました。1年後にU23の世界選手権があったので、この大会に出ることができなかったら辞めよう、あと1年間だけ頑張ってみようと。競技を始めたときから東京2020大会を目標にしてきましたが、その道のりは果てしないため、そこに至るまでに小さなゴールを設定していこうと考えました。一つずつゴールにたどり着いていく先に、東京パラリンピックがあるという考え方にシフトチェンジしてやっていきました。

そうして迎えた東京2020大会では見事に銀メダルを獲得しましたね。

 メダル獲得を目標としていたので、それを達成することができたのは嬉しいし、大きな喜びでした。でも、世界一にあと一歩、4点差で届かなかった(※決勝でアメリカに60対64で敗戦)という現実はすごく悔しいですし、新たな課題として、次の3年後に向かっていきたいと思っています。

世界最強のアメリカと金メダルをかけて戦って感じたことは?

 2019年のアメリカ遠征では大差をつけられて、世界一のチームとの差を嫌というほど見せつけられました。日本はずっとトランジションバスケットボール(攻守の切り替えが早いバスケットボール)に取り組んできて、今回はアメリカをあと一歩のところまで追い詰めることができたので、大きな進歩、成長だと思います。日本のバスケットボールが通用した、自分たちは強くなったと感じさせてくれる試合でした。

大会を通して印象に残っていることはありますか?

 自国開催ということがすごく大きくて、選手村のボランティアの方々が、試合に行く前に「頑張ってください」と声をかけてくれたり、帰ってきたときには「おめでとうございます」と喜んでくれたり、あるいはSNSを通じて応援のメッセージをもらったり、無観客ではありましたが、すごく応援の力を感じて、本当に大きな力になりました。多くの人が喜んでくれたことがすごく嬉しかったです。

多くの人に勇気を与える大会でしたが、障害があることでスポーツに踏み出せないという子供たちもいると思います。どのような言葉をかけたいですか?

 障害があることでスポーツに抵抗があったり、親御さんが危ないと言って過保護になったりすることもあると思います。でも、やりたいことがあれば、まずはやってみることですね。うまくいかなかったとしても、一つの経験になるので、やって損はないと思います。そのための環境を与えてあげることが、周りの大人の役割であると思います。

障害のある人のスポーツ環境について望むことはありますか?

 僕が小さい頃は練習をしたくても体育館が取れないことが多々ありました。スポーツをより身近なものにするのであれば、場所の提供はとても大事だと思います。日本財団パラアリーナ(東京都品川区にあるパラスポーツ専用アリーナ)は素晴らしい施設なので、少しでも障害のある人が利用しやすい、こうした施設が増えると嬉しいです。

赤石選手が考えるスポーツの大切さとはどんなところでしょう?

 一言で言い表すのは難しいですが、スポーツの良さは「平等」ということだと思います。僕のように障害がある人のためにパラスポーツがあって、性別や年齢など関係なく誰でもできます。車いすバスケットボールでは、持ち点制度があって障害が重い人でも軽い人でも同じように試合に出ることができます。また、スポーツを通して世界も広がります。僕は車いすバスケットボールを通じて多くの方に出会うことができたし、世界を広げることができました。それがスポーツの価値、大切さだと思います。

最後に今後の目標を教えてください。

 3年後のパリ2024パラリンピック競技大会の前にやらなければいけないことはたくさんあります。2022年5月から6月にかけて、千葉で2021年男子U23車いすバスケットボール世界選手権大会(以下、U23世界選手権)が開催されます。まずはその大会を目標にしています。東京2020大会では最年少ということもあり、先輩たちに引っ張ってもらいましたが、今度は自分がチームを引っ張っていかなければならないという責任感はありますし、しっかり結果を残して、車いすバスケットボールを盛り上げていきたいです。東京2020大会ではメダルを目標にしていましたが、U23世界選手権では銀でも銅でもなく、金メダルが目標と言わせていただきたいと思います。座右の銘である「有言実行」の通り、必ず達成します。

(取材・文/ベースボール・マガジン社、撮影/椛本結城)