パラスポーツインタビュー詳細
伊藤 力さん(パラテコンドー)
プロフィール
名 前
伊藤 力(いとう ちから)
出身地
宮城県
所 属
株式会社セールスフォース・ジャパン
階 級
男子80kg超級(K44クラス)
日本におけるパラテコンドーの先駆者として活躍する伊藤力選手にインタビュー。格闘技経験のなかった伊藤選手がパラテコンドーを始めることになったきっかけ、軽量級から最重量級へ転向した経緯、そして、今夏に迫るパリ2024パラリンピック競技大会や2026年の愛知・名古屋アジアパラ競技大会までの展望を伺いました。
受障の経緯について教えてください。
2015年3月に仕事中のアクシデントで右腕を切断しました。当時は製造業のマシンオペレーターをしていたのですが、プレス機に手を挟んでしまい、肘より下が粉砕骨折のような状態になって、医者から復元はできないと言われました。手術後、目が覚めたら腕がなかったので、最初はショックを受けました。隣で奥さんが泣いているのを見て「ああ、やってしまったな」という気持ちになりました。
ただ、3~4日くらいで気持ちの切り替えはできました。腕を切断してから病院のベッドの上でいろいろ考えましたが、悩んでも腕が元通りになるわけではないと思ったんです。同じ1日を過ごすなら、ずっと悩んで過ごす1日より、前向きに生きていく1日のほうがいいよねと考えました。これまでの約30年、変化の多い人生だったので、頭の切り替えはうまいほうだと思います。
その後、お仕事はどうされたのですか?
1年くらい休職したあと、勤めていた会社に事務として復帰しました。しかし、休職中にパラテコンドーに出会ったことで、本気でパラリンピックを目指したいという気持ちが芽生え、競技と両立できる環境を整えるために現在の会社に転職しました。
パラテコンドーに出会ったきっかけは?
もともとサッカーやフットサルをやっていたので、障害者でもできるサッカーをやってみたいと入院中に考えていました。ブラインドサッカーは知っていましたが、対象が視覚障害のある人なので、手足を切断した人ができるサッカーがないかと調べて、アンプティサッカー(※)という競技を見つけました。退院後、さっそくアンプティサッカーの練習に行くようになったのですが、そこにボランティアとして参加されていた方が、北海道でテコンドー道場をやっている方の知り合いでした。東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)で正式競技に採用されたパラテコンドーには日本人選手がいないという話を聞き、上肢に障害がある僕に声をかけてくれたことが、パラテコンドーとの出会いのきっかけです。これまで小学校ではサッカー、中学は剣道、高校はテニス、そして社会人になって、再びサッカーやフットサルと、その時に自分が面白そうだと思うものに飛びついて、いろいろな競技を経験してきました。常に新しいことをやってみたいと考える性格なので、テコンドーもとりあえず一回やってみようと思い、合宿に参加することにしました。
※主に上肢又は下肢を切断した人が行うサッカー
そこからどのように競技として本格的にテコンドーに取り組むことになったのですか?
軽い気持ちで参加した初めての合宿が、なんと日本代表の合宿で、東京北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターに行き、そこで蹴り方などの基礎を教わることになりました。ほかに選手がいなかったという事情もあるのですが、テコンドーを始めた日に日本代表になりました。それで一気に“世界”への道が開き、ひとまず東京2020大会までやってみようと本格的に取り組むことにしました。
伊藤選手の強みは?
ひとつはディフェンス、もうひとつは戦略的に戦えるところだと考えています。相手を分析して試合を組み立て、自分で考えて試す。自分のスタイルを自分で確立している、ということが強みにつながっていると思います。
テコンドーを始めた当初は男子「61kg級」でしたが、現在は「80kg超級」で戦っていらっしゃいます。階級を変更したのはどうしてですか?
東京2020大会まで、男子は「-61kg級(61kg以下)」、「-75kg級(75kg以下)」、「75kg超級(75kgより多い)」の3階級でしたが、東京2020大会後に、「-58kg級(58kg以下)」、「-63kg級(63kg以下)」、「-70kg級(70kg以下)」、「-80kg級(80kg以下)」、「80kg超級(80kgより多い)」の5階級に変更されました。自分も当初は「-61kg級」でしたが、東京2020大会の日本代表選考会で負けて、軽量級の蹴りの速さのなかで戦っていくのは難しいと実感しました。そこで階級を変えてみることを考えた時に、「-75kg級」には強豪選手がいる一方、「75kg超級」にはライバルとなる選手もいなかったので、この階級は日本では未開拓の領域で面白そうだなと思い「75kg超級」への転向を決めました。そこから階級数に変更があり、「-80kg級」か「80kg超級」で迷いましたが、いったん最重量級に挑戦してみることにしました。
減量はきついと聞きますが、これだけ体重を増やすとなると増量も大変なのでは?
僕にとっては、減量よりも増量の方が過酷です。競技を始めたころは57~58kgで、どちらかというと太りにくい体質なので、体重を増やすために無理して食べていました。ちょうどコロナ禍の時期で、あまり動かず太りやすいタイミングでしたが、夕飯に大盛でごはんを食べて、さらに夜食でパスタやカップ焼きそばを食べたりと、体に悪い生活を送っていたのでつらかったです。増量中は73kgから、食べても食べても体重が増えない時期が続き、そこを突破すると次は78kgで再び壁に直面し、その厚い壁を超えるために半年ほどかかりました。
階級の変更後、試合に出場してみていかがでしたか?
2022年から重量級で大会に出るようになりましたが、順調にはいかず大会に出場してみて考えが甘かったと痛感しました。正直もっと結果が残せると思っていましたが、「80kg超級」には身長が190cmで体重は120kgという選手もいて、自分と約40kgの体重差がある選手と戦うことになります。重量級の選手は蹴りのスピードが遅いので、そこでなら戦えるのではないかと考えていましたが、実際はそうではなく、重量級には重量級の戦い方があるということを知りました。思っていたような結果を出せなかった、というのが率直な感想です。
昨年は海外遠征にも多く行かれたそうですね。
コロナ禍の前にも年に5~6回ほど海外遠征はしていましたが、昨年は8回くらい海外に行って15大会に出場しました。パリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリ2024大会)出場に向けて、世界ランキングの上位にいることが必要だったので、そのポイントを獲得するため、昨年は6月から12月にかけて月に2回のペースで多くの大会にエントリーしました。
オリンピック競技のテコンドー選手とも交流はありますか?
仲の良い選手がたくさんいます。合宿では隣のコートで練習することもありますし、以前は合宿を一緒に行うこともありました。普段の練習でも、出稽古に行った時に道場で話したり、一緒にご飯を食べたり、交流は多いほうだと思います。彼らの多くが20代の若者なので、現役の選手だと僕が一番年上です。ただ、パラテコンドーに関しては、「J-STARプロジェクト」といった選手発掘プログラムをきっかけに競技を始め、全日本選手権で優勝して強化指定選手に選ばれる選手たちも出てきていて、自分より年上の選手が増えてきています。2023年度は40代の選手が3人ほどいて、気づいたら僕は(年齢的に)中堅になっていました。
伊藤選手が思う、テコンドーの面白さとは?
格闘技なので殴ったり蹴ったりと体力を使う競技ですが、試合では防具に電子機器を使用するので、実はセンシティブな面もあって、しっかり頭を使い戦略を立てて戦うことが大事です。それぞれ障害が違うなかで、体力・スタミナを武器に手数を多く蹴ることができる若手選手もいれば、僕みたいに、相手をしっかり分析して、試合を組み立てながら一発必中で蹴る選手もいる。自分に合った戦い方やスタイルが確立しているところが、魅力のひとつだと感じています。
防具をつけていても蹴られる時って痛いですよね。実際のところいかがですか?
もちろん痛いですが、それは仕方ないですね。どの階級であろうが痛さは変わりません。練習の時は止まっているところに全力で蹴り込まれるので、我慢できないくらい痛いです。試合では蹴る側も受ける側も動いていますし、ガードする場合もあるので、試合のほうが痛くないことが多いです。ただ、痛くてひるんでしまいギブアップする選手もいるので、蹴られ慣れるために「蹴られる練習」をしておくことも必要です。
現在の仕事と練習環境について教えてください。
JOCがアスリートを対象に行っている「アスナビ」という就職支援制度を通じて2016年8月に現在の会社に入社して、家族で北海道から東京に引っ越しました。
会社では上司の協力もあり、仕事と競技が両立できるようにバランスを考慮してもらって働いています。今はだいたい週3回の勤務で、フルタイムで働く日もあれば午前または午後だけという日もあるので、その時間に合わせてトレーニングを積み重ねています。練習は、土曜と日曜は所属している道場で、平日は出稽古のような形で知り合いの道場や大学で行うことが多く、その合間には筋力トレーニングをしています。
休日はどのように過ごしていますか?
よくラーメンの食べ歩きをしていますね。ラーメンが好きなのは昔からですが、何か趣味を持とうと思って、ウェブサイトでお店を調べて、週に1回は都内や都外にラーメンを食べに行っています。昨年は80回くらい行きました。どれもおいしかったのですが、なかでも1番気に入ったのは、北海道に帰省した時に札幌で食べた味噌ラーメンです。誰もが知っているような有名なお店ではないのですが、昨年のナンバーワンはその一杯でしたね。体重の維持も仕事だと理由をつけて、毎回おいしくいただいています。
それと、小型の一眼レフカメラを買って写真を撮り始めました。残念ながらパラテコンドーはあまりメディアに取り上げてもらえず、僕自身も含めて選手の写真がほぼないです。僕はテコンドーに生きがいをもらったので、何か少しでもテコンドーに貢献できればと思い、海外の試合などで自分や他の選手を撮影するようになりました。
パラテコンドーのパイオニア的存在である伊藤選手が、競技の普及や発展に向けて考えているのはどんなことですか?
どの競技も同じだと思いますが、結果を出せば、メディアが取り上げてくれると思うので、僕らがパイオニアとしてやるべきことは、パラリンピックでメダルを獲ることです。そうすれば、競技人口も増えるのではないかと考えています。実際に他の国、特にブラジルはパラテコンドーの競技人口が多いのですが、それは東京2020大会で金メダル(男子61kg級)を獲ったり、女子も表彰台に上がった選手が多かったりしたことが影響しています。パラリンピックで活躍した選手たちを見て、テコンドーを始める人たちが増えた経緯があるので、日本でも選手の活躍が注目されることで競技人口の増加に繋げていきたいです。
そして「愛知・名古屋アジアパラ競技大会」を集大成に
現在の目標と、今後の競技生活についてお聞かせください。
今の目標は、パリ2024大会に出場することです。その先については、2026年に愛知・名古屋アジアパラ競技大会を最後に、テコンドーにはいったん区切りをつけようと考えています。本当はパリ2024大会で競技を終えてもいいかなと思ったりもしましたが、これまで僕が世界の大会で戦っているのを、会社の方や家族に見せる機会が全然なかったので、最後に自分が日本で戦う姿を会場で観てもらい、感謝の思いを伝えることができればと思っています。世界ランキング上位にいることができれば、その次のロサンゼルスで開催されるパラリンピックも視野に入れるかもしれませんが、ひとまずは2026年の名古屋を終着点にしようと考えています。ぜひ、応援よろしくお願いします。