HOMEパラスポーツインタビュー長谷山 優美さん

パラスポーツインタビュー詳細

長谷山 優美さん(デフバレーボール)

メイン画像

プロフィール

名 前

長谷山 優美(はせやま ゆうみ)

生年月日

2000年8月24日生まれ

出身地

静岡県生まれ、神奈川県育ち

所属先

住友電設株式会社

障害について教えてください。

 感音性難聴という聴覚障害があります。生まれて9か月目にきこえないことが分かったので、生まれつきと言っていいと思います。第一言語は手話です。母と妹は聞こえるのですが手話で会話しています。私は音をききたいので、ふだん左耳だけ補聴器をつけているのですが、音はきこえても、言葉として判断するのは難しいです。

バレーボールを始めたきっかけはなんですか?

 中学1年生のときに、先輩から誘われてバレーボール部に入ったのがきっかけです。小学生の頃は習字やダンスをやっていました。もともと体を動かすことが好きで、よく運動もしていたので、中学でバレーボールを始めましたが、ボールが腕に当たった時にすごく痛くて、はじめは痛いというイメージが強かったんです。でも、慣れてくるとだんだん楽しくなっていきました。バレーボールにはそれぞれポジションがあって、ポジションごとに役目を果たしながらボールをつなぎ最終的に点を取る。そういった連係プレーで点を取るところがすごく面白いし、楽しいと感じています。

選手同士のコミュニケーションは、どのように取るのですか?

 ろう学校のチームでは、みんな手話を知っているので、手話でコミュニケーションをとります。ただ、ろう学校は人数が少なくて、当時、高校のバレーボール部員は3人だけだったんです。それで、生徒数の少ない近くの高校と合同チームを作りました。合同チームでの公式戦参加も認められているんです。はじめのうちは、合同チームの選手たちは手話が分からなかったので、声を出したりジェスチャーだったり、手のひらに字をゆっくり書いたりしながらコミュニケーションをとりました。そのうち選手たちが手話を覚えてくれて、慣れた頃には手話メインで話せるようになりました。どちらもバレーボールが好きという共通点があったからこそできたのだと思います。試合のときは手話でやりとりする余裕がないので、アイコンタクトだったり、ここにボールが来たら誰が取るとか、攻撃はこうしようとか、予めルールを決めています。

デフバレーボールを始めた頃から日本代表になることを目指していたのですか?

 高校1年生までは日本代表について何も考えていませんでした。部活の監督から「日本代表に興味があるか」と聞かれても、あまりピンと来なかったんです。バレーボールの日本代表といえば、木村沙織選手とか有名な選手を何人か知っていましたが、デフバレーの選手にはどんな人がいるのか思いつかなかったです。そんな段階だったので、初めて日本代表の合宿に参加したときは、日本代表になりたいということよりも、いろいろな県から選手が集まっていて「(地域によって)手話も違うんだ」などと思っていました。それから、代表に選んでいただいて「え、アメリカに行けるの?やった!」みたいな感じで喜んだのを覚えています。その後、日本代表であることを実感したのは、高校2年生でデフリンピック代表に選ばれたときです。第23回夏季デフリンピック競技⼤会サムスン2017(以下、サムスン2017大会)で16年ぶりに日本が金メダルを獲り、それから少しずつ注目されるようになって、ちょっと遅いかもしれないですが、その頃から日本代表や、日の丸を背負うことを自覚するようになりました。

女子デフバレーボール日本代表の特徴や強みは?

 海外のチームは身長が高いので、普通にプレーしたのではなかなか勝てません。スパイクを打つにしてもブロックにしても、やはり背が高い方が有利です。それに対して私たちはスピードで勝負します。海外チームに多いのはトスを高く上げてスパイクを打つプレーですが、日本が同じようにやると、相手に簡単にブロックされてしまいます。なので、早く、低めにトスを上げて相手がブロックする前に打つといった、スピードを意識しています。

 身長差がありながら、サムスン2017大会では全7試合でストレート勝ちを収め、金メダルを獲ることができて、大きな刺激になりました。

女子デフバレーボールチームのインスタグラム(SNS)には、練習中の写真だけではなく、ごはんを食べている写真などもあって、選手をとても身近に感じました。チームの雰囲気はいかがですか?

 年齢がみんな近いので共通点が多いんです。例えば、韓国が好きとか、海が好きとか、ちょっとくだらない話なのですが、そういう共通点が多いので楽しくおしゃべりをしています。

普段どういう練習をしていますか?

 毎月1回の代表合宿の外に、所属チームの選手たちと週に1回練習をして、あとは毎週、日本代表を目指している強化選手が集まって自主練をしています。個人のトレーニングでは、週1回パーソナルトレーナーについてもらい、専門的な知識を教わっています。合宿で日本代表のトレーナーから私の課題を提示してもらい、パーソナルトレーナーと共有して細かく指導してもらっています。自分のポジションであるミドルブロッカーは、高くジャンプすることが求められるので、瞬発力やジャンプ力といったことを中心にトレーナーから教わっています。

お仕事について教えていただけますか?

 2024年3月に、現在の住友電設株式会社に入社しました。前の勤め先ではフルタイムで働いていたのですが、残業などもあって、ジムに行く時間がなかったり練習する時間が取れなかったりして。もう少し自分の時間が欲しいと思い転職を決め、アスリートの社員を採用しているこちらの会社とご縁があって入社することになりました。社内では事務作業をしています。その日の仕事を終えてから、練習やトレーニングに行ったり、体のケアをしたり、自分で時間をうまく調整して競技と両立させています。会社の理解もあり、とても生活しやすい環境です。

社内でデフバレーボールの体験会などをすることもありますか?

 体験会というのはないのですが、同じ会社にデフ卓球の亀澤理穂選手とデフサッカーの古島啓太選手がいるので、デフアスリート3人でデフリンピックとは何か、聴覚障害とは何かをテーマに研修や講演をしたことがあります。それとは別に、月に3~5回、自分の部署で手話講座を行い、みんなに手話を教えています。

休日はどのように過ごしていますか?長谷山選手のリフレッシュ方法は?

 練習やトレーニングがないときは、家にいるよりアウトドア派なので、ショッピングに出かけて洋服を買ったりしています。あとは、ドライブで山に行ったり海に行ったり。私は6歳から21歳まで神奈川県の茅ヶ崎で育ったので、よく海が恋しくなります。東京に引っ越してからは海を見る機会がなくなってしまったので、海を見に行って、のんびりしたりしてリフレッシュしています。

2024年6月に「デフバレーボール世界選手権2024 沖縄豊見城大会」が開催され、日本が初優勝しました。大会を振り返っていかがですか?

 自国で開催されることに加えて、沖縄は、デフバレー日本代表チーム発祥の地ともいえる、歴史のある場所だったので、そこで世界大会が行われるということに大変ワクワクしていました。一方で、もちろんプレッシャーもありました。世界選手権の会場となった豊見城市民体育館は、合宿などでいろいろとお世話になった体育館だったので、いい結果を残して皆さんに恩返しをしたいという気持ちが強くありました。それに、前回の世界選手権は新型コロナウイルスの影響で日本は参加しなかったので、この大会に臨む気持ちの入り方は違いました。大会中は友達の家族も会場で応援してくれて、しかも優勝の瞬間を見せることができてとてもうれしかったです。
 でも試合を振り返ると、ウクライナ戦で負けてしまい全勝優勝とはなりませんでした。その試合だけ、チーム全体の調子が良くなく、点が取れなかったんです。それだと日本はまだ世界一とは言えないので、いつも一定の状態を保てるように、デフリンピックに向けてさらにレベルを上げて、もっと強いチームになりたいと思っています。

今年(2025年)、いよいよ東京でデフリンピックが開催されます。デフリンピックに向けての思いをお聞かせください。

 サムスン2017大会では金メダルを獲ることができました。でも、第24回夏季デフリンピック競技大会ブラジル2021(以下、ブラジル2021大会)では、2連覇を目指して何試合か戦った後、新型コロナウイルスの影響により、準決勝当日の朝に途中棄権することを告げられました。今でも悔しい思いが残っています。連覇ができない分、第25回デフリンピック競技大会東京2025(以下、東京2025大会)では、チャレンジというか、取り返してやろうという気持ちがとても強いです。
 それに、東京2025大会は、デフリンピックが始まって100周年の記念すべき大会なんです。しかも、日本の中でも「東京」です。だから本当にうれしいんです。これまで、サムスン2017大会もブラジル2021大会も会場がすごく遠かったので、家族や友達、会社の人が現地に来て応援することができなかったんです。でも、東京ならみんな来てくれる、会場に見に来られるんですよね。だから頑張って頑張って練習をして、いい結果を残して、みんなに優勝した姿を見せたいです。

会場では、どのような応援をしてもらえるとうれしいですか?

 デフリンピックなど大会に参加するときは、みんな平等に戦えるよう補聴器は取らなければいけないルールになっています。そのため声の応援はきこえないので、例えば、キラキラキラという感じで、両手をひらひら動かして「拍手」を表す手話をしたり、「応援してるよ」、「頑張れ」、といった簡単な手話を覚えてやってくれたりすると、とてもうれしくなって頑張る気持ちが湧いてきます。
 昨年の世界選手権のときは、私の名前と背番号を書いたキラキラのうちわを振りながら友達が応援してくれて、「あ、私の名前だ。がんばろう!」とモチベーションにつながりました。そうやって何か見える形で応援をしていただけるとすごくうれしいです。

最後に、障害者スポーツに興味がある方、同じような障害のある方々にメッセージをお願いします。

 デフリンピックは、パラリンピックより長い歴史がありますが、まだまだ知名度が低い状況です。なので、デフリンピックがあることを知るだけで終わるのではなく、家族や友達に、「2025年デフリンピックが東京で開催するよ」、「すごい選手がいるよ」と、ちょっとしたことでいいので、PRをしてほしいなと思っています。
 また、SNS等でも広めていただけるとうれしいです。そして、ぜひ東京2025デフリンピックの会場に来て応援してください!