HOMEパラスポーツインタビュー石井 沙織さん

パラスポーツインタビュー詳細

石井 沙織さん(東京パラスポーツスタッフ)

石井沙織さんの写真

プロフィール

名 前

石井 沙織(いしい さおり)

出身地

東京都昭島市

所 属

特定非営利活動法人日本障害者スキー連盟

 子どもの頃から競技をしてきたアルペンスキーヤーと、人の身体を熟知した理学療法士という専門家。2つの顔を持ちながら、パラアルペンスキー日本チームのヘッドコーチを務める石井沙織さんにインタビューしました。パラアルペンスキーとの運命的な出会い、コロナ禍での海外遠征、北京パラリンピックへ向けた抱負をお伺いしました。

スキーを始めたのはいつごろからですか?

 親がスキーをやっていたので、全然記憶はないですけど、3歳からスキーを始めて、小学1年生で初めてアルペンの大会に出場しました。

 実は、フィギュアスケートもやっていましたが、両立するのが厳しくなってきた時に、華のあるフィギュアスケートではなく、アルペンスキーに進んでいきまして(笑)。小学校までは北海道のチームに入っていたので、週末とか大会の期間になれば当時住んでいた昭島から北海道に行くというのを繰り返していたのですが、東京の学校ではスポーツで休むというのが、当時はなかなか受け入れられなくて、高校は北海道のスキーで有名な高校に入学しました。3年間は北海道でひとり下宿生活を送り、大学はまた東京に戻ってきました。

理学療法士になった経緯を教えてください。

 高校2年の時に膝の大きな怪我をして、2つの靭帯と半月板を損傷しました。それで手術を受けて、リハビリをしていた時に、「理学療法士」という選手をサポートする仕事もあるということを知りました。それがきっかけで将来そういう道に進めたらと思っていたのですが、スキーも続けていきたかったので、大学3年からダブルスクールをはじめて、日中は大学へ、夜間は理学療法士の専門学校に通いました。ただ、さすがに勉強が忙しくなりスキーが続けられなくなったので、専門学校2年の時に一度スキーは引退して、理学療法士の資格を取るための勉強に専念しました。専門学校は4年制なので、大学を卒業してから2年間通って資格を取得し、北海道の病院で就職しました。それからは、病院で働きながら、仕事が終わるとナイターで午後9時までスキーの練習をするという生活を続けていました。

パラアルペンスキーとの出会いは?

 その後、東京に戻って来て、いつものようにジムでトレーニングをしていた時に、今の私が所属しているパラアルペンスキーチームの森井大輝(もりいたいき)選手(ソチ2014年冬季パラリンピック競技大会銀メダリスト)にたまたま会ったことがきっかけです。本当に運命だなと思うのですが、それがソチ2014冬季パラリンピックの開催年度でした。当時は、まだチームに所属していなくて、病院で働いていたのですが、その日の朝に、森井選手と狩野亮(かのうあきら)選手(ソチ2014年冬季パラリンピック競技大会金メダリスト)が載っていた広告が目に留まり、チェアスキーの選手がいるのかと思いながら、夕方ジムに行ったら、その広告に載っていた森井選手がいらっしゃいました。声をかけてみたら、スキー板のメーカーも一緒で話が盛り上がって、色んな話をしました。その時のチームの体制は、理学療法士やトレーナーなどの専門家が入っていなかった頃でした。それで、スキーもできて、理学療法士でもあるということで、ぜひうちのチームに来てほしいと森井選手に言われました。

 チームは4年ごとに編成するのですが、ソチ大会が終わったらぜひうちのチームに来てほしいということで誘いを受けて、それからとんとん拍子に話が進みました。

チームに加わってからの4年間はいかがでしたか?

 ソチ大会が終わって、チームにトレーナーとして入りました。2014年の秋の遠征から参加するようになったのですが、最初からフル帯同です(笑)。

 最初はトレーナーだったので、選手の体のケアとトレーニングが中心でしたが、自分自身もアルペンスキーをしていたので、スキーの技術面も見ることができました。そのため、日中はコースの中に入って選手の滑りを見て、午後にフィジカルトレーニング、夜に体のケアということを4年間、平昌2018冬季パラリンピックまでトレーナー兼コーチという立場で務めました。その後、平昌大会以降はヘッドコーチをやっています。

 最初の頃は自分がコーチになるなんて全く思っていませんでした。ただ、理学療法士の資格を持っており、動きに対して体の使い方や関節の動きなどもわかるので、そういうところからアプローチできるのが私の強みだと思っています。

 資格を取るためにすごく勉強したのですが、そういうことを生かして今の仕事ができているのは、本当に嬉しく思います。

 朝も夜も、という生活は大変でしたが、健常者とパラのスキーには共通することもあります。とくに立位の選手は健常者に近いですね。一方のチェアスキーは全く違うもので、体の使い方はわかるのですが、サスペンションなどわからないこともあったので、そういうことを勉強した4年間でもありました。

 立位だと自分が滑れますし、片足の選手についても、自分自身が片足でもできるので気持ちがわかりますが、チェアスキーは全くわかりません。それで自分がやってみないとわからないなと思って、一度乗ってみたのですが、一週間体が痛かったです(笑)。

 ただ、実際に滑ってみて、目線も違いますし、サスペンションの反応の重要性に、選手があそこまで気を配るのがわかりました。その時にはチェアスキーの選手たちから「さおさん(石井さんの愛称)、この気持ちわかりましたか?」って言われましたね。実際にやることによって、チェアの使い方とか選手の言っていることもわかるようになったので、そういう4年間だったかなと思っていますね。

 それ以外に、健常者のスキーと違うところでは、障害によって「係数」があるところです。そこも最初はわからなかったのですが、見た目で遅くても、障害が重いと順位的には上になります。最初は「なんで?」と思っていたのですが、今はそれが面白いです。理学療法士として障害についての知識も持っているので、クラス分けなどにも帯同していますが、そこが健常者と違ってパラの面白いところかなと思いますね。

※係数…各選手に障がいの重さ(程度)に応じた係数をもうけ、実走タイムにその係数をかけた計算タイムで順位を決定しています。

やりがいを感じるのは?

 やっぱり選手がメダルを獲った時ですね。一緒に辛いトレーニングをして、ほとんど家族のように一緒にいて、いろいろなことを一緒に乗り越えながらやってきました。パラリンピックに限らず、ワールドカップなどで、メダルを獲ることができると、いろいろあったけどやってきてよかったと思います。

今はフルタイムでコーチを?

 はい。専任のコーチになっているのでフルタイムです。トレーナーの頃も専任のトレーナーとして入っていたのですが、今はトレーニングのない時でも、チーム遠征の手配や強化戦略プランを作るなど、フルタイムで携わっています。

昨年から新型コロナウイルス感染症の影響があったと思いますが、通常はどのようなスケジュールですか。

 例年は4~5回海外遠征を行います。夏は南半球のニュージーランドやチリで、10月からはヨーロッパの氷河に行き、一回(日本に)帰って来て、また11月にはヨーロッパに出ていきます。場所がアメリカの時もあります。ただ、昨シーズンは、世界選手権があるはずだったノルウェーに向かうために成田空港まで行ったのですが、(感染症の影響で)瀬戸際で引き返すということがありました。

 今年に関しては、北京2022冬季パラリンピックを直前に控える年なので、8月にヨーロッパで1か月間トレーニングをしてくる予定です。ただ、帰国後の14日間の隔離措置があるので、トレーニングを止めないためにも「アスリートトラック」と呼ばれる、隔離期間中でも登録した宿舎と練習拠点の往復のみ認めてもらえる制度に申請しているところです。

 例年であれば、秋は3週間から1か月遠征に出て、日本に戻って10日間ほど過ごしてから、次の遠征に向かいます。ただ、今シーズンは、日本の滞在期間が帰国後の隔離期間にあたってしまうので、10月下旬に出発して、選手が自宅に帰れるのは2月下旬の予定です。そのため、選手が家族に会えるのは、北京大会に行く前の3日間くらいになってしまいます。選手の中には去年子どもが生まれた選手もいるので、かわいそうなのですが、私はひとり者なので「家族持ちの気持ちはわからないですよね」と選手からも言われています(笑)。

ヘッドコーチとして心がけていることは?

 選手と壁を作らないようにしています。気を使う選手たちが多いので、そういう選手が気を使うチームにはしたくありませんでした。選手に「さおさん、さおさん」って呼ばれているのですが、なんでも相談できて、話し合いながらやっていけるチームにしたいと思っています。

 また、理学療法士という職業柄なのか、選手が車いすやチェアスキーに乗っているときなどは、ひざをついて目線を一緒にして話すようにというのは意識しています。壁を作らないために、くだけた話もしますし、選手が相談しやすい雰囲気を作ることを意識しています。ただ、難しいのは慣れすぎても良くないというところです。行き過ぎちゃうと関係が崩れてしまうので、しめる時はしめる、でも相談もできる人として携わりたいという感じですかね。

休日の過ごし方は?

 月に10日間ほど、フィジカルトレーニング、陸上のトレーニングも菅平で立位と座位でやっているので、休みがない状況です。

 ストレス発散としては、ジムに行ってトレーニングをすることです。あと時間がある時はケーキ作りとか(笑)。ケーキは食べるのが好きなのですが、おうちでスクールを開ける資格も取っちゃいました。

来年3月の北京大会に向けての抱負を聞かせてください。

 目標に掲げているのが、座位クラスで金メダルを含む複数個のメダル獲得と、立位選手が表彰台に上ることです。

 村岡桃佳(むらおかももか)選手は陸上で東京2020夏季パラリンピック出場も決まっていて、平昌大会では5つメダルを獲得している選手なので、一番の注目かなと思います。ブランクがあったので私も心配していたのですが、去年戻ってきて国内の大会に出て練習もしていたのですが、ほとんど変わらない状態でした。さらに人間性が一回りも二回りも大きくなって、戻ってきたという印象です。

 また、森井選手も試行錯誤していろいろなことに挑戦してやっていますし、その他にも鈴木猛史(すずきたけし)選手(ソチ2014年冬季パラリンピック競技大会金メダリスト)など、座位の選手がメダル獲得の確率が高いと思います。また立位の選手もメダル獲得を目標に掲げていて、女子の本堂杏実(ほんどうあんみ)選手は去年怪我をしたため、今はまだリハビリ中なのですが、スピード系が得意な選手なのでメダル獲得を期待したいなと思います。男子の高橋幸平(たかはしこうへい)選手はスラロームが得意な選手です。去年はコロナの影響で夏のトレーニングがなかなかできなかったのですが、若手でまじめなので、今後期待の持てる選手ですね。