HOMEパラスポーツインタビュー川嶋 悠太さん

パラスポーツインタビュー詳細

川嶋 悠太さん(ゴールボール)

川嶋悠太さんの写真

プロフィール

名 前

川嶋 悠太(かわしま ゆうた)

出身地

東京都

所 属

株式会社久米設計

 東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)でゴールボール競技に男子日本代表キャプテンとして出場した川嶋悠太選手。160㎝と小柄ながらも、どんなボールにも飛びついて止める俊敏さと体幹の強さを武器に、日本の守備の要として活躍されています。そんな川嶋選手に、ゴールボールとの出会いや海外での経験、東京2020大会について伺いました。

川嶋選手の障害について教えてください。

 網膜色素変性症という進行性の難病で、視野と視力が落ちて見えなくなっていく病気です。

 4歳から野球をやっていたのですが、小学4年生の夏にいつものように兄とキャッチボールをしていた時、前日まで見えていたボールがまったく見えなくなり、捕球もできなくて、そこで異変に気付きました。最初はただの視力低下でメガネをかければ見えると思っていたのですが、視力は上がらず、大学病院に行って調べてもらい病気があることがわかりました。学校では教室の一番後ろの席だったのですが、黒板の字が見えづらくて一番前の席に替えてもらって、その頃から点字の勉強も始めました。

 中学から東京都立八王子盲学校に通い始めたのですが、当時はまだ症状が悪くなる前だったので、見えているのに盲学校に通ってよいのかという不安や不思議な感じがありました。

 最近また視力が落ちたと感じているのですが、今は両眼とも視力が0.02くらいで、シルエットがぼやけて見えて視野もかなり狭い状態です。

ゴールボールとの出会いはいつですか?

 中学1年生のとき盲学校の体育の授業でゴールボールに出会いました。最初は、1.25kgの重いボールが体に当たって痛いのが嫌でしたし、何よりも、「見えている」のにアイシェードをつけて「見えなくする」ことに強い抵抗がありました。当時はまだ野球をやっていたので、中学3年間は体育の時間だけゴールボールをやっていました。

競技としてゴールボールを始めたきっかけは、どんなことだったのですか?

 中学2年生のとき、当時のゴールボール日本代表監督が体育の教師として赴任され、その方に誘われました。ただ、アイシェードをつけて見えなくするのが嫌だったので、中学時代は野球を理由にずっと断っていました。しかし中学を卒業して野球を引退してからは、いよいよ断る理由がなくなってしまい(笑)、ゴールボールを始めました。

 最初は自分から進んでやるというよりは、やらされている感がすごく強かったのですが、高校1年生のときに日本選手権の予選に出場した際に、あと1勝すれば日本選手権に行けるという試合で負けてしまい、それが本当に悔しくて、本格的に競技を始めました。

ゴールボールでは1チーム3人がコートに入りプレーしますが、川嶋選手のポジションについて教えてください。

 3人の真ん中の「センター」というポジションです。競技を始めた頃はウイングもやっていましたが、当時は投げる球が遅く、また、野球をやっていたときから守ることが好きだったので、ユース時代から基本的にセンターを任されました。

 センターはディフェンスの要ですが、それと同時に攻撃の起点になれることが魅力です。両側のウイングの選手に冷静に物事を判断して指示を出し、ゲームメイクでチームを勝利に導く役割にすごくやりがいを感じています。

川嶋選手にとってゴールボールの魅力は何ですか?

 音だけを頼りに、同じ条件でプレーができるところですね。

 そしてプレー中に、自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを汲み取ったり、瞬時に判断しなければならないのですが、そういったことはスポーツだけではなく普段の生活でも生きると感じています。

競技を始めてすぐに頭角を現し、ユース時代から日本代表としてご活躍されていますね。

 2011年1月、高校1年生のとき日本代表合宿に初めて招集されて、その年の7月に19歳以下の世界選手権(ワールドユースチャンピオンシップス)に出場しました。

 結果は8位でしたが、初めての国際大会で、欧米諸国の選手の体の大きさに圧倒させられましたし、会場の雰囲気にのまれて思うようなプレーができませんでした。

 ただ、その大会で優勝したのが自分たちと同じ体格の韓国だったんです。体格が大きくなくても優勝できるんだと刺激を受け、表彰式で韓国の国歌を聞きながら「次は自分たちが金メダルを獲ろう!」と同い年の選手と誓いました。それから2年間、仲間と練習に励み、2013年のワールドユースチャンピオンシップスでは金メダルを獲得しました。

ユース世代の世界チャンピオンに輝いた2013年、東京2020大会の開催が決まりました。アスリートとしてどう感じましたか?

 2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まった瞬間を生中継で見ていて、夢のようでしたし、身の引き締まる思いでした。パラリンピック出場を目指して競技を始めたので、開催国として出場権を得られるチャンスがある中で、そこまでの7年間をどう過ごすのか、楽しみなところはありました。一方で、7年後に自分がそこにいるのかという不安も感じていました。東京2020大会を26歳で迎えるということで周りからは一番良い年齢だと言われましたが、その時に自分がどんな人間になっているのか想像ができず、これから大変なこともあるんだろうなと思っていました。

2017年からは、海外にも武者修行に行かれたそうですね。

 中国、リトアニア、ブラジルの3か国にそれぞれ1週間から10日間行きました。

 最初に行ったのは2017年3月の中国です。その年の1月に中国で、日本・中国・韓国の3か国による練習試合を行ったのですが、その際中国チームの監督に武者修行の交渉をしたのがきっかけです。1週間くらい中国のクラブチームに参加させてもらいましたが、そのメンバーが6人ともナショナルチームの選手だったので、日本代表合宿と変わらない高いレベルで練習することができました。

 同じ年の12月にはリトアニアでトレーニングを行いました。リオ2016パラリンピック競技大会で金メダルを獲得した国だけあって、受けるボールが重かったですし、ボールが伸びてくる感じや回転数も全然違うと感じました。中国、リトアニアへは選手2人と通訳1人で行ったのですが、2018年の10月には、一人で世界ランキング1位のブラジルに行ってきました。今思えば地球の裏側のブラジルまでポルトガル語も話せないのに、よく一人で渡航できたなと我ながら思います(笑)。

 とにかく東京2020大会で後悔したくないという思いが一番にあって、やらないで後悔するより、やりきって結果を受け止めたいと積極的に海外にも行きました。ディフェンスの技術など自分の発想にはないアイデアを持っている選手もいて、得たものは大きかったです。

東京2020大会以前の大会の中で印象に残っているのはどの大会ですか?

 やはり一番は、金メダルを獲得した2013年のワールドユースチャンピオンシップスですね。大会期間中はずっとチームが良い雰囲気で、これが「勝てるチーム」の雰囲気なんだと感じられたのは大きな経験になりました。

 もうひとつは、2019年12月に千葉で行われたアジア選手権(2019 IBSAゴールボールアジアパシフィック選手権大会)です。東京2020大会日本代表の選考に関わる大会だったのですが、観客に見られている中で、良いプレーをしなければいけないとか、失敗すると選考から落とされるとか、余計なことを考えすぎて自分にプレッシャーをかけてしまいました。とても苦い思い出ですが、あれがあったからこそパラリンピック本番では同じ失敗をしないようにと意識することができたので、今は良い経験だったと捉えています。

©一般社団法人日本ゴールボール協会

新型コロナウイルス感染症の影響で、東京2020大会の1年延期が決定しました。延期をどう捉え、また、コロナ禍でどのように過ごしましたか?

 東京2020大会の延期は、チャンスだと思いました。

 延期が発表される1週間前に、パラリンピックのゴールボール日本代表内定選手が発表されましたが、私はメンバー6人の中に入れず、7番目で補欠になりました。大会が1年延期されたことで、もしかしたら1年後にチャンスがあるのではと感じていました。

 コロナ禍による外出自粛期間はウエイトトレーニングに励みました。2020年6月頃からはボールを使った練習も再開しましたが、2か月ぐらいボールを触っていなかったので感覚が鈍ってしまい、感覚が戻るまで時間がかかりました。それに、久しぶりにボールを受けると衝撃が強くて、普段からボールを受け慣れることがどれだけ大事なのかを実感しました。

東京2020大会ではゴールボール男子日本代表でキャプテンを務められましたね。

 2020年3月に発表された内定メンバーには入れませんでしたが、選手内で投票を行い、翌月の4月にキャプテンに選ばれました。その時は補欠の立場だったので、パラリンピック本番でキャプテンが不在になってしまうのが自分の中ですぐには受け入れられず、2、3週間くらい悩みました。一度は断ったのですが、監督の勧めもあり引き受けることを決めました。パラリンピックでメダルを獲るために、キャプテンとしてチームをまとめたいと考えましたが、最初の頃は補欠の自分がどこまで口を出していいのか、どこまで突っ込んでいいのか、迷いや戸惑いもありましたね。

その後東京2020大会の延期により内定選手の再選出が行われ、ゴールボール男子日本代表として出場しました。自身初となるパラリンピックの大舞台はいかがでしたか?

 すごく楽しいところでした。これまで経験したことがないくらい規模が大きくて、本当に忘れられない大会になりました。

 予選ラウンドはもう少し苦戦するだろうと考えていたので、3勝1敗で1位通過したのは、予想外というか、出来過ぎと感じる部分もありました。大会が始まってからみんなすごく調子が良かったので、予選のような戦いができれば決勝トーナメントもいけると手応えも感じていました。ところが、準々決勝の中国戦では選手入場の時からチーム全体がガチガチに緊張しているのがわかりました。その動きの硬さは終盤まで取れず、4対7で競り負けてしまい、5位に終わりました。結果としてメダル獲得はできませんでしたが、自分としては100%、120%の力を出せたので、すべてを出し尽くした、やりきることができた大会になりました。

休日はどのように過ごしますか?

 音楽が好きでJ-POPをよく聴くのですが、特に好きなのは、サンボマスターの「できっこないを やらなくちゃ」という曲です。それに、気分転換としてお風呂に入ることも好きですね。

 基本的に家でまったりしているのが苦手なので、時間があったら予定を入れて友達と食事に行ったりしています。家でゴロゴロするとむしろ体が疲れてしまう感じがあるので、動いて気持ちをリフレッシュさせています。

今後の目標をお聞かせください。

 今の一番大きい目標は、パリ2024パラリンピック競技大会の出場権を獲ることです。

 まずは7月にバーレーンで行われる2022IBSAゴールボールアジアパシフィック選手権大会で金メダルを獲得して、今年12月に行われる世界選手権大会出場を目指します。

 パリ大会の出場権を獲得できるように頑張りますので、応援よろしくお願いします!

(注)本記事は2022年6月のインタビュー記事であり、その後2022年7月の2022IBSAゴールボールアジアパシフィック選手権大会で、ゴールボール男子チームは全勝で金メダルを獲得し、世界選手権大会の出場権を獲得しました。