パラスポーツインタビュー詳細
岡澤 政子さん(東京パラスポーツスタッフ)
プロフィール
名 前
岡澤 政子(おかざわ まさこ)
出身地
茨城県
所 属
日本知的障がい者陸上競技連盟 副理事長
今回は長年にわたって知的障害者陸上に携わり、世界を目指すアスリートからスポーツ初心者まで、様々な選手の指導にあたっている岡澤政子さんにインタビューしました。日本知的障がい者陸上競技連盟の副理事長も務める岡澤さんに、障害者スポーツとの出会いから、コーチとして大切にされていること、知的障害者陸上の魅力まで様々なお話をお伺いしました。
障害者スポーツとの出会いについて
教員になった年から特別支援学級を担当することになり、初めて異動した先に障害者スポーツに長らく携わってきた先生がいらしたことが障害者スポーツに関わることになったきっかけです。学生時代に陸上競技をやってきた経験を活かして活動を続けながら、ゆうあいピック(全国障害者スポーツ大会の前身大会)の東京代表のコーチをさせていただきました。また、日本知的障がい者陸上競技連盟の立ち上げ にも携わらせていただき、世界大会に帯同させてもらうなど活動の幅を広げていきました。
実際に障害者スポーツに携わってみていかがでしたか?
もともと自分も陸上が好きでやっていたことですし、指導者としてやりがいがありましたね。自分が中学生の頃に陸上部の顧問だった先生から、卒業の時に「オリンピックの舞台に立ってくれたらうれしいな」という言葉をいただいたことがありました。自分は全国大会に出られるくらいの選手にもなれませんでしたが、世界に通用する障害のあるアスリートに携われるということは、先生への恩返しになったかなと思います。
最初の国際大会は?
スペインのセビリアで行われた知的障害者陸上の世界選手権です。その大会が、コーチとしての初めての帯同ですね。(旅費は)高かったですよ。その時も私を含めてコーチ3人と通訳、選手が5、6人。保護者の方も応援に来ていて、その頃は保護者の方の力も借りながら乗り切るみたいな部分もありましたね。宿舎は別でしたけど、会場でサポートしてもらうとか。本当に連盟はまだまだ小さな組織だったので。
平成11年に連盟が立ち上がってから、環境の変化はありましたか?
組織が大きくなってきて、代表になるような選手は日本全国に広がっています。組織としては少しずつ大きくなりましたし、選手の数も増えています。
パラリンピックの経験は?
パラリンピックはないですが、アジアパラ競技大会は前回のインドネシアで行われた大会に帯同しています。それから、アジアユースパラゲームズは、東京で行われたときから帯同していますね。前回がドバイ、その前がマレーシアです。
教員のお仕事とコーチの両立は大変ですか。
ありがたいことに職場の理解や、特別支援学級で先生方のご協力もあって、行かせていただいているという感じですね。
教員になられた時から特別支援学級の担当ということですが、それを目指していた?
もともとは、普通の保健体育(中学)の免許で入って、特別支援学級で採用になりました。そこで活動していたら楽しくなってきたんです。子どもたちは純粋無垢だし、一生懸命がんばる子どもたちだし、障害があるからかばおうということではなくて、障害の有無に関係なく、これだけ頑張れる子どもたちですということを社会に伝えていきたい、これだけのことをこの子どもたちはできますよと、やはり外へ発信していきたいという思いもありました。途中10年ほど、特別支援学校でもお仕事をさせてもらって、また特別支援学級に戻ってきた、みたいな感じです。
日々、選手とはどう関わっていますか?
月に1回、日曜日に陸上やフライングディスクなど様々なスポーツをやって、月に2回、金曜日の夜にバスケットボールを、毎週木曜日の夜には陸上を本格的にやりたいという子どもたちとかかわっています。そこに来るのは世界レベルの選手かどうかは関係ないですよね。
やはり陸上が一番指導しやすいですが、スポーツ活動としては色々やっています。
(学校を出てしまうと、スポーツがやれる機会がないということですか)
まず、学校を卒業するとスポーツをする場所がないし、私が指導をはじめた頃は、スポーツクラブ、スポーツジムを知的障害のある子どもたちが利用するのはなかなか難しかったんです。
パラリンピックを振り返ってみても、知的障害の種目の歴史は短いですよね。私が指導している選手はパラリンピックの種目ではないのですが、陸上の種目は4種目※しかありません。
身体障害も障害のクラスによって、種目があったりなかったりしますけど、知的のパラリンピック種目というのはロンドンから今日までずっと変わらず4種目だけですので、知的障害の子どもたちが大会への出場を通して、スポーツに取り組む機会が多いとは言えないですね。
※400m、800m、走り幅跳び、砲丸投げの4種目
コーチとして心がけていること、大切にしていることを教えてください。
選手を中心にして考えることです。コーチ主導ではなく、選手ファーストでもない、アスリートセンタード。だから、サポートする人が増えていけば、その選手もいろいろなところが変わってくるだろうと思うんです。
また、選手の意見をまずは聞くように心がけています。聞いたうえでそれに賛同したり、ここに変化をもたせようかとか提案したり。
(コミュニケーションは密にとる?)
よく話します。雑談とかも。知的障害の選手の場合、アスリート雇用もほとんどないですから、仕事を一生懸命やって、競技もやるっていう感じですよ。だから、バランスがとれて、その中で自分のサイクルができていけば、毎日仕事をしながらでもうまくトレーニングができて、良いパフォーマンスはできるんじゃないかなって思います。
コーチの魅力は?
私がやってきたのはトラックの800mとか1500mですが、今指導している選手は全く違う種目です。私は専門外でもあるので、その種目の専門的な知識を持っている人、技術を持っている人を探して引き合わせたりしながら、指導にあたっています。
リフレッシュは?
仕事のストレスは、選手たちとの練習でリフレッシュしています。時間があれば休むこともあるし、買い物いったりもしますけど、やっぱり現場が好きですね。一回だけ、小学校の管理職、副校長を担当した時期がありました。でも、やっぱり現場が好きなことと陸上に携われなくなってしまうので、1年で「ごめんなさい」って言って現場に降りちゃったんです。
知的障害陸上の見どころは?
とにかくまっすぐですよ、どの選手を見ても。レースを見ていても、選手なりにちゃんと相手を意識している様子がわかりますし、相手より前に行きたいとか、より遠くに跳びたいとか、気持ちが素直に出ています。そういったことが表情にも競技にもあらわれてくるんですね。
あとは、その選手を支えているコーチと選手との絆も魅力ですね。とくに地方は、クラブチームがなく、保護者がコーチをしている場合も多いです。東京はいくつかチームがありますけど、地方にいくと、卒業した学校の先生がコーチをしているケースなどもあります。そういった関係のなかで、コーチの声掛けひとつでギアを一気に上げ、レース展開が変わったり、パフォーマンスが向上したりすることがあって、その支えている声ひとつで、こんなにも選手は変わるのか、って驚かされることが度々あります。
コロナ対策など気を付けていることは?
国内大会でもそうですけど、男子の1500mは面白いレースが見られるのではと楽しみにしています。先日の日本パラ陸上選手権大会だけでなく、それまでの海外の大会についても言えるのですが、ここにきて、パラリンピック出場が期待されている選手の走りが変わってきているし、面白いレースをしてくれていますよね。世界を相手にしても、うまくいけば絡めるんじゃないかなと期待しています。
投てきは、やっぱり世界と比べると体格が違います。海外の選手はパワーがあるので。日本の選手は、標準記録にも届いていないですが、これは連盟として、育成しなくてはいけないという課題だと思います。標準記録をクリアできる選手がいないから仕方ないじゃなくて、育成して近づけるっていう働きかけをしていかなくてはいけないと思います。
東京パラリンピック(陸上・知的)での見どころは?
競技場に入る時、今まではそれぞれ使用料を払って中で待ち合わせしていたのが、外で全員集まってから書類を出して、消毒、手洗い・うがいなどをしてから競技場に入ります。マスクも苦しくない限りはします。集まって入ると、体調不良とかの確認ができますよね。仕事を持っていて、自閉傾向がある選手は会社で大変なことがあったり忙しかったりすると独り言が多くなることがあるのですが、落ち着きがないなとか雰囲気がわかれば、競技場の中で気を付けることができます。