パラスポーツインタビュー詳細
佐々木 大輔さん(射撃)
プロフィール
名 前
佐々木 大輔(ささき だいすけ)
出身地
広島県
所 属
モルガン・スタンレー・グループ株式会社
東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)で射撃競技に出場された佐々木大輔選手。射撃は極限のプレッシャーの中で、平常心を保ちながら撃ち続けることが求められる「究極のメンタルスポーツ」とも言われます。その高い競技性はもちろんですが、年齢や性別、障害の有無に関係なく誰もが一緒にできることが一番の魅力と佐々木さんは話します。念願だった教職の道を歩み始めた矢先の事故、怪我がきっかけとなった競技転向、東京2020大会での教え子たちの応援、今後の目標などを伺いました。
障害を負った経緯について教えてください
2009年、産休育休代替教諭を経て、社会人枠で小学校教諭になって迎えた初めての夏休みに、自転車に乗っていて、交差点でトラックにはねられ、車いす生活になりました。肋骨を3本折って、ひびも10か所ぐらい入り、背骨も折れ脊髄が断裂し、下半身が動かなくなりました。小学3年生の頃から柔道をやっていたおかげで、体が飛ばされた時に受け身をとって、命は助かりました。このために柔道をやっていたのだと思ったほどです。救急病棟に1か月間、その後、国立障害者リハビリテーションセンターに半年入院しました。
障害者スポーツと出会ったのはいつですか?
リハビリの一環として車いすバスケットボールをした時です。13年前の当時は、障害者スポーツは今のようには注目されておらず、恥ずかしい話、障害者にスポーツができるなんて思ってもいなかったので、衝撃でしたね。退院後は教諭をやめ、小学5年生と3年生の2人の息子を男手ひとつで育てる生活を送りました。本当に大変な毎日でしたが、たくさんの人に支えられながら少しずつ生活に余裕が持てるようになり、障害のある人もない人も一緒にできるスポーツをしたいと考えました。障害の有無で区別されることに、障害を負ってみて初めて違和感を覚えたので、プールに行けば障害のない人と一緒に泳げると思い、水泳を始めることにしました。
水泳はどのようにマスターされましたか?
まずは家から近かった東京都障害者総合スポーツセンターに通って、泳ぎ方を一から教えてもらいました。最初は両手で泳げないから溺れそうになるので一度はやめましたが、3か月程してやっぱり泳ぎたいと思い、柔道で鍛えた腕力と根性で泳ぎの土台を作りました。しばらくして泳げるようになると、東京体育館の50mプールで練習をするようになりました。速く泳げずに後ろの人に迷惑もかけましたが、追われるからこそ速く泳ごうと毎日のように必死に泳ぎ続けました。
泳げるようになると次にやりたかったのが、障害のない人と一緒に泳ぐ大会に出ることでした。ただ、当時はそのような大会は開催されていませんでした。その頃、オリンピック金メダリストの北島康介(きたじま こうすけ)さんが設立したスイミングクラブで月に1回指導を受けていて、私の担当の細川大輔(ほそかわ だいすけ)コーチ(世界水泳選手権銀メダリスト)に「いつか大会で障害のない人と一緒に泳ぎたい」と話したら賛成してくれて、小さな大会でしたが息子と一緒に出場して二人でリレーをすることができました。
射撃へと転向したきっかけは、どんなことだったのですか?
水泳を始めて1年程で良い記録が出るようになり、2013年11月の「第 30 回日本身体障害者水泳選手権大会」では大会新記録で優勝しました。しかし、あと5秒で日本代表になれそうというところで肩を痛めてしまい、治療をしたのですが、再度同じ箇所を痛めてしまいました。ちょうどその時期に東京2020大会の開催が決まり、東京でパラリンピックがあるのなら是が非でも出たいと目標にしていましたが、水泳では同じところを2回怪我したうえに、当時40歳という年齢を考えると厳しいかと思い、他の競技を探すことにしました。
極力肩に負担をかけず、障害のない人とも一緒にできる競技を探し、射撃とアーチェリーにたどり着きました。アーチェリーは弓を引くので、ゆくゆくは肩に負担がかかるのではと考え、2015年1月に射撃を始めました。
同じ年の11月には、競技を始めて1年足らずでしたが、日本選手権(「第28回全日本障害者ライフル射撃競技選手権大会」)で3位になることができました。その会場で、アテネ2004パラリンピック競技大会、ロンドン2012パラリンピック競技大会、リオ2016パラリンピック競技大会に出場した瀬賀亜希子(せが あきこ)選手から「筋が良い」と言われたことがきっかけで、射撃で東京2020大会を目指そうと練習に打ち込むようになりました。2016年の日本選手権(「第29回全日本障害者ライフル射撃競技選手権大会」)では日本新記録を出し、2017年から日本代表として国際大会での挑戦が始まりました。
射撃は、どんな競技ですか?
ライフルやピストルで10mまたは50m先にある円状の的を撃ち、合計得点を競う競技です。的には10個の同心円があり、例えば僕が出場する10mエアライフルの的は、中心の直径がわずか0.5mm、シャープペンシルの芯くらいです。
射撃で一番大切なのは、心拍数です。緊張して心拍数が上がると、銃が揺れてブレてしまうので、試合前には深呼吸したり音楽を聴いてリラックスして、心を無の状態にして臨みます。程よい緊張状態でいることが重要です。射撃は、自分の心と対話をしながら、自分のペースでできるスポーツで、心の動きが点数で見てとれるのが、この競技の面白いところです。
また、一番の魅力は、老若男女を問わず健常者も障害者も、みんなで一緒に楽しめるスポーツだということです。東京2020大会で私は50歳でしたが、20歳の選手もいました。それに車いすの選手もいれば、立って(立位)で撃つ選手もいます。さらに国内では、健常者と障害者の選手がミックスで組んでやる大会も行われます。射撃だからできる大会かもしれませんね。
東京2020大会出場までの道のりはいかがでしたか?
2018年にインドネシア2018アジアパラ競技大会に出場し、2019年7月のクロアチアで行われたWSPSワールドカップ・オシエク大会で11位に入り、国際試合での自己ベストも更新して、これはいける!と思いました。大会を終えて帰ってきた頃からは、ナショナルトレーニングセンター(NTC)で射撃のオリンピック日本代表候補選手たちと一緒に練習ができるようになり、とても良い経験となりました。健常者の選手たちと積極的にコミュニケーションをとって、技術の情報交換など良い刺激をたくさんもらいながら、海外から来たオリンピックチームのコーチにも直接見てもらえて、士気も高まりました。環境は大事ですよね。
その後、2021年5月に宮城県で行われた東京2020大会の出場権を賭けた国内選考会で、全選手の中で1位の成績を出して開催国枠を獲得し、東京2020大会に出場しました。
そうしてたどり着いた「東京2020大会」の舞台はいかがでしたか?
祭典ですから、雰囲気は最高でした。コロナ禍の中、全国からボランティアの方たちが来て大会を支えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりましたし、バリアフリーの環境にも驚きました。選手の動線がよく考えられており、移動のバスは車いす用のステップが自動で出るから人の手もかからない。すごく考えられたユニバーサルデザインに海外の方もびっくりしたのではないでしょうか。
個人的には、東京2020大会の会場は顔見知りのスタッフも多く、住んでいる場所からも近い会場だったこともあり、平常心を保ちながら競技に集中することができました。
会場に小学生が育ててくれた朝顔があって、子供たちからのメッセージを見ていると緊張がほぐれ、普段どおり試合に臨めました。そして、短い教員生活でしたが、当時の教え子たちの寄せ書きや、SNSでの応援メッセージはとても励みになりました。
障害を負ってスポーツを始めたのは、教え子たちにかわいそうだと思われたくなかったからだったので、僕がパラリンピックに出て、元気な姿を見せることがで、一つ夢をかなえることができました。
普段は、どんなトレーニングをしていますか?
体力づくりのため有酸素運動である水泳をやっています。筋力トレーニングとしてだけではなく、射撃の試合中に集中力が切れそうになった時に、水泳で培った、苦しくても泳ぎ続けるという精神力が生きてきます。日常生活でもトレーニングになることがあります。例えば車を運転していて渋滞に巻き込まれるとイライラしがちですが、気をそらす方法を見つけるようにしています。それが自然にできるようになれば、何も考えず無心に近づくことができるので射撃にも活きます。すべてがトレーニングです。
お休みの日の過ごし方は?
本が好きなので読書や、映画を観たりしています。あとは、音楽を作ることも好きです。不思議なことに、交通事故に遭って救急病棟にいる時に、メロディーがポンと浮かんだんです。ゆるやかで、懐かしい感じの曲が。それがずっと頭にあって、退院してから作曲を習い始めました。今でも2日に1回くらいは、朝起きる間際にメロディーが浮かぶので、起きたらすぐ鼻歌を録音して、休みの日に譜面におこしています。いつか皆さんにも聞いてもらいたいですね。
今後の目標を教えてください
僕は東京2020大会では、男女混合で10m先にある的をエアライフルで狙うR3という種目で、自力で上肢を使って銃を保持できるSH1クラスに出場し、28位という結果で終えました。パラリンピック出場が夢だったので、大会が終わって1年くらいは“燃え尽き症候群”のような感じで気持ちが入らず、点数も伸びませんでした。昨年の夏が過ぎた頃にやっと気持ちの整理がついて、調子も戻ってきたので今は楽しいですね。今年は1年延期となった杭州 2022 アジアパラ競技大会が10月に開催されるので、国内選考会でまず勝って、大会でベスト8に入るのが目標です。応援よろしくお願いします。