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パラスポーツインタビュー詳細

菅野 浩二さん(車いすテニス)

菅野浩二さんの写真

写真提供:本人

プロフィール

名 前

菅野 浩二(すげの こうじ)

生年月日

1981年8月24日

出身地

埼玉県

所 属

株式会社リクルート

勤務先

株式会社リクルートオフィスサポート

クラス

クァード
※上肢にも障害のある選手が参加する男女混合のクラス

障 害

頸椎損傷

今回は、車いすテニスの注目選手・菅野浩二選手にインタビューを行いました。菅野選手は、2019年12月13~15日に開催された「第29回 三井不動産 全日本選抜車いすテニスマスターズ」クァードクラスで優勝し、大会3連覇を達成されました。決勝戦の後、疲れも見せず、笑顔で取材に応じてくださいました。

インタビューでは、車いすテニスを始めたきっかけや魅力、東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)に向けての意気込みなどをお聞きしました。

車いすテニスとの出会いについて教えてください。

 15歳のとき、バイク事故で頸椎を損傷し車いす生活が始まりました。入院からリハビリまで約3年間を経て社会復帰しました。リハビリ仲間の先輩で吉田記念テニス研修センターに通う方が、新しい車いすに乗り換える時にそれまで使っていたものを譲ってくれたことが大きなきっかけになり、車いすテニスを始めました。

それから、車いすテニスに夢中になっていったのですね。

 正直に言うと、Jリーグや漫画「スラムダンク」の影響もあって、もともとサッカーやバスケットボールをやっていたので、最初はテニスにあまり魅力を感じていませんでした(笑)。テニスをやっている友達がいたから、趣味でやってみようかなという感じで始めました。ただ、車いすテニスを始める前には車いすバスケットボールをやっていたので、競技用車いすの操作には自信がありました。はじめはテニス自体が課題でしたね。テニスよりも野球の方が好きだったので、ラケットを持つとホームランを打つ練習ばかりしていました(笑)。野球にはバックハンドがないので、バックハンドをどうやって打つのか、みんなでいろいろ試しながら上手な人のプレーを見て真似していました。

初めて出場した大会は、いかがでしたか?

 車いすテニスを始めた年の夏、21歳のときに埼玉県で行われた大会に出場しました。初級・中級・上級とクラスが分かれていたのですが、いきなり「中級」クラスにエントリーしました。そこで対戦したのが、全国大会レベルの選手。初戦で見事に完敗しました(笑)。自分ではもう少し良い試合ができると思っていたのですが、手も足も出ず、そこでスイッチが入りました。段階を踏んでもっとうまくなって、いつかその選手を倒してやろうと練習に励み、次の大会では初級で優勝しました。そこから、中級ぐらいまで経験したことによって、強い人もいるんだ、簡単には勝てないんだということもわかり、さらに練習を積んでいろいろな大会に出るようになりました。

写真提供:リクルート

最初は「男子」クラスでしたが、後に「クァード」クラスへと転向されました。そのきっかけはどういうことだったのでしょうか?

 年に一回、国内ランキングの上位選手のみが出場できる「全日本選抜車いすテニスマスターズ」が開催されるのですが、ずっとその大会に出場することを目標に練習しました。そうして、2016年にその目標を達成することができました。その年の大会には、リオパラリンピックから帰ってきた選手も何人か出場していたのですが、そこで、パラリンピック6大会連続出場、リオ大会では男子ダブルスで銅メダルを獲得した齋田悟司(さいださとし)選手と対戦しました。試合が終わって、ラウンジでご飯を食べている時、齋田選手から「クァードクラスで出てみたら?」というお話をされたんです。クァードの存在は知っていましたし、過去に誘われたこともありましたが、世界で戦うためには海外に行ったり、苦手な英語も話さなければいけないので、あまり気乗りせず、踏ん切りをつけられずにいました。ただ、次のパラリンピックが日本開催というタイミングでもありましたし、世界のレベルを知っている齋田選手に「クァードならもっと上で活躍できる」と勧められたことに後押しされ、クラスの転向を決めました。

クァードクラスに転向するとすぐに頭角を現し、どんどんランキングを上げていった印象があります。

 転向する前は「男子」クラスで全日本マスターズにも出場していたので、正直、国内ではトップにいけると思っていました。ただ、世界には強い選手がいっぱいいるので、最近は世界の壁も感じています。本格的に競技志向に切り替えたときには35歳を過ぎていたので、競技だけやっていられる年齢でもないという思いもありました。結婚して妻もいますし、仕事をセーブするとなると収入もどうなるかわからない。ある程度、先が見えていないとできないという気持ちがありましたが、その中で、トップレベルにはいけると思ったから、腰を据えて始めることにしました。

本格的に世界を目指すにあたり、仕事の調整はどのように行いましたか?会社のサポート体制について教えてください。

 それまで働いていた部署は繁忙期がはっきりしていて、忙しい時期に遠征が重なると大会に出られないという状況でした。勤務先の株式会社リクルートオフィスサポートには、仕事と競技を両立するための「アスリート支援制度」があり、当時の上司にそれを利用したいとお願いしました。週の半分の2.5日は出社、残り半分の2.5日は競技活動をするというものなのですが、その社内制度により、週5日のフルタイム勤務から、2017年より週3日出勤して、残りの2日は練習に充てられるようになり、海外遠征費用もサポートしていただけるようになりました。

休日はどのように過ごしていますか?

 漫画が好きなので漫画を読んだり、ゲームをしたり、たまにカラオケに行ったりします。妻と出かけることも多いですね。

車いすテニスの見どころ、ここを見てほしいというポイントを教えてください!

 テニスの技術はもちろんですが、一般のテニスとの違いは、車いすを操作しながらテニスをするというところです。「チェアワーク」と言われる、車いすの操作をぜひ見てもらいたいです。男子と女子のクラスでは、迫力あるプレーが多く華やかです。一方で、クァードはどうしても身体機能の制限がより多くあり、単純に比べてしまうと劣って見えるかもしれません。しかし、だからこそ戦略性の高い頭脳戦が繰り広げられます。ちょっと玄人好みかもしれませんね。男女クラスももちろんですが、クァードの選手たちは“障害の限界を超えてくる”選手が多いので、そこをぜひ見てもらいたいです。手も足も満足に動かせない選手が「そんなプレーができるんだ!すごいなぁ」というような、私も試合をしながら感動するようなプレーを披露してくれます。例えば、電動車いすに乗ってプレーするアメリカのニコラス・テイラー選手は、奇跡的なテニスをします。健常者が同じことをやれと言っても難しいようなことを彼はさらりとやってのけ、思わず賞賛の拍手を送りたくなるようなプレーが試合中に次々と飛び出します。日本でも、宇佐美慧(うさみけい)選手や、パラリンピックに日本代表として出場した川野将太(かわのしょうた)選手、諸石光照(もろいしみつてる)選手は(握力が弱いので)テーピングでラケットを腕に固定してワングリップだけでプレーしますが、すごく上手に打ちます。私も同じことをやれと言われたら難しく、やはり彼らも障害の限界を超えています。世界最高峰の選手たちが今年東京に集結するので、ぜひ注目してほしいです!

2019年は、テニスの四大大会・グランドスラムであるローランギャロス(全仏オープン)とウィンブルドンに出場し、「車いすテニス世界国別選手権」では日本がクァードクラス初優勝と大活躍の一年でした。2019年は菅野選手にとってどんな年でしたか?

 テニス人生の中で、かなりいろいろな経験が積めた一年でした。グランドスラムでは、会場で試合が始まると、試合を見に来てくれる方も多く、観客からの見られ方も(他の大会とは)全然違ったので、プレーしていて緊張しました。テレビでしか見たことがない世界だったので、自分がこの舞台に立っているという感動の方が大きかったです。試合ではなかなか結果を出すことができなかったので、次に出場するときは勝てるように準備していきたいと思います。

東京2020パラリンピック競技大会に向けての意気込みをお願いします!

 東京2020大会に出場してメダルを獲得するのが目標です!そのためには、今、練習していることを試合で出せなければ勝てません。年齢も年齢なので、毎日練習することよりも、今まで積み上げてきたプレーの質を磨きあげることに重点を置き、練習に取り組んでいます。実際の試合になると、勝ちたい、勝たなければという意識が邪魔をして、練習と違うプレーをしてしまうことも少なくありません。そのため、東京2020大会までに出場する全ての大会をリハーサルと想定し、勝ち負けよりも実践におけるプレーの精度を上げることを徹底し、東京2020大会へ臨みます。