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谷口 裕美子さん(知的障害者水泳コーチ)

谷口裕美子さんの写真

プロフィール

名 前

谷口 裕美子(たにぐち ゆみこ)

生年月日

1968年12月18日

出身地

東京都

所 属

一般社団法人日本知的障害者水泳連盟 運営委員長/山梨学院大学スポーツ科学部教授

 20年以上にわたり知的障害がある選手を指導している谷口裕美子さん。ロンドン2012パラリンピック競技大会(以下、ロンドン2012大会)から3大会連続で水泳競技の日本選手団コーチを務めました。スポーツ科学や障害者スポーツの専門家でもあり、現在は山梨学院大学で教鞭をとっています。そんな谷口さんに、競技との出会いや指導で心掛けていること、知的障害者水泳界を取り巻く環境の変化、今後の取り組みへの思いなどをお聞きしました。

知的障害者水泳との出会いを教えてください。

 大学院を卒業後、東京YMCAに就職し、翌年に系列の専門学校に移りました。併設のスポーツジムには知的障害者やダウン症、発達障害がある子どもたちを対象にしたクラスがあり、水泳やスキーといったプログラムの運営や指導の手伝いをしたのが最初です。特に水泳は独自の指導法が確立されていて、プログラムが充実していました。先生方は「この子たちは時間がかかるけれど、やればできる」とおっしゃっていて、「活躍する場をつくってあげたい」という願いから日本知的障害者水泳連盟を立ち上げることになり、私も組織の一員になりました。

 当初は事務的な仕事が主でしたが、水泳の経験者だったこともあって次第に水泳の合宿や遠征に帯同するようになり、東京2009アジアユースパラゲームズには総務兼コーチで参加しました。そして、翌年にオランダで開催された世界選手権、ロンドン2012大会につながっていくという流れでしたね。

知的障害の選手にはどういった指導の工夫をされているのですか?

 もちろん個人差がありますが、知的障害の選手は「これくらい」という尺度評価が苦手です。たとえば、疲労度について聞いても、「昨日と比べてこれくらい疲れている」といった表現がうまくできないという特徴があります。言葉を引き出すために、じっくりと時間をかけて関係づくりに取り組んでいくようにしていますね。

 トップ選手は取材対応にも慣れていますが、記者さんが質問を言い直したりすると優先順位がわからなくなってしまいます。こちらが意図していることのニュアンスはくみ取れないので、私たちも指導の際は分かりやすい言葉で説明するようにしています。代表合宿などでも最初に聞くのは「(地元のコーチには)いつもどう言われている?」ということです。普段と違うことを言うと混乱するので、話を聞きだして、すり合わせて、できるだけ同じような言い方で声をかけるようにしています。

プールで選手を指導する谷口さん
提供:(一社)日本知的障害者水泳連盟

大会によっては、隣のレーンを他の障害クラスの選手が泳ぐことがありますが、知的障害の選手は違和感を覚える場合もあると聞きました。

 そうですね。トップ選手は、普段の練習ではいつも先頭で泳いでいます。でも、たとえば隣のレーンが聴覚障害の選手だった場合、彼らは健常者に近いタイムで泳ぐので、知的障害の選手はスタートから離されてしまい、そこで調子が狂ってしまうことがあります。できるだけ海外大会や健常者と一緒に練習する機会を増やして、いろんな選手と泳ぐことに慣れることが理想ですね。山梨学院大学水泳部(健常者)でも、山口尚秀(やまぐちなおひで)選手(四国ガス)ら知的障害の選手が練習に参加することがあります。

その山口選手は、東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)の男子100m平泳ぎ(SB14)を世界新記録で制して金メダルを獲得し、歴史を作りました。東京2020大会をきっかけに、知的障害者水泳を取り巻く環境に変化はあったと感じますか?

 大会招致が決まってから、強化のための助成金、競技人口、メディアの数は増えましたね。競技環境面では、「スイミングスクール所属」の選手が増えました。つまり、地元のスイミングスクールで選手コースに受け入れてもらえるようになったということです。これまでは保護者が一緒でも断られることが少なくなかったので、変化のひとつだと思います。また、競技人口増加については、全国障害者スポーツ大会の存在が大きいでしょう。日本でパラリンピックが開催されるということで、さらに強化に力を入れるようになりましたし、東京2020大会後も知的障害者が水泳を続ける環境が維持されていると思います。

 また、ダウン症のクラスについても変化がありました。これまで国内大会では知的障害の選手とダウン症の選手は同じクラスで実施していましたが、世界大会では既にダウン症を別のクラスで実施していたため、国内でも昨年7月の日本知的障害者選手権水泳競技大会から、ダウン症のクラスが作られました。

知的障害者水泳界の今後の課題は何だとお考えですか?

 時間がかかりながらも、育成・強化は進んでいると思います。ただ、ロンドン2012大会に出場した世代は30歳を超えていて、彼らが今後「生涯スポーツ」として水泳を続ける道を、どう作るかを考えなければいけないと思っています。多くの人は選手をやめても水泳を生涯スポーツとして続けることが当たり前にできます。しかし、彼らは誰かがプールに同行したり、遠出や宿泊には支援が必要です。活動のサポートをしていた保護者も高齢化していきますし、親の介護が始まる、といったいろいろな要素が絡み合ってきます。なかなか解決策を見つけるのが難しいですね。

 でも、やっていてよかったと思う瞬間がたくさんあるんです。知的障害のある子どもが活躍して、メダルをもらって、みんなの前で拍手をされると「うちの子見て!」となりますよね。そういうふうに、家族をはじめ周りの人が笑顔になっていく姿を見ていると、私たちがやっていることにも意味があるのかな、と思います。

知的障害者水泳に関わって、谷口さん自身も変化したなと感じることはありますか?

 ありますね。知的障害の選手は正直だし、純粋です。いろんな選手がいますが、彼らが持っている豊かな個性の良さを知ってから、大学の学生に対しても寛容になったと思います。課題など、何かできないことがあっても、「できない原因があるのかもしれない」と考えるようになりました。サボっているかどうかの見極めは必要ですが、私が若い時は「なんでできないの⁉」と、もっと厳しかったので、今私が教えている学生はラッキーかもしれませんね(笑)。

柔らかい表情で知的障害者水泳界への思いを語る谷口さん

今後、谷口さんが取り組みたいことや目標を教えてください。

 知的障害の子どもとその保護者は一緒に競技を続けていくわけですが、それぞれどんな成育歴や競技歴があって、どんな社会的障壁があるのか、またそれをどうやってクリアしてきたのかという「ヒストリー研究」をしたいと思っています。水泳を続けるうえでハードルになったものが見えてくれば、共生社会の実現につながるヒントが見えるかもしれません。

 指導者としては、健常者と知的障害者が一緒に泳げる環境が増えることを願っています。身体的には欠損等がない彼らにとっては、“目指せ、健常者の泳ぎ”なんです。だから、オリンピック選手の隣のコースで泳ぐことができたら、ものすごい刺激になりますよね。それから、知的障害者水泳に関わるコーチの資質と指導力の向上を目指したいと思っています。過去に自分のことを理解されなかったりしてトラウマを抱え、心を閉ざしている選手も多くいます。障害を理解している人の指導力を上げることと、水泳の指導者としてスキルを持っている人に知的障害者を理解してもらう、という双方向のトライができるといいなと思っています。

(取材・文/MA SPORTS、撮影/植原義晴)