パラスポーツインタビュー詳細
安田 準さん(認定NPO法人スペシャルオリンピックス日本・東京 執行委員・事業本部長・陸上競技主任コーチ)
プロフィール
名 前
安田 準(やすだ ひとし)
生 年
1941年
出身地
東京都
所 属
認定NPO法人スペシャルオリンピックス日本
1941年生まれ、東京都出身。高校・大学時代は陸上部で中距離の選手として活躍。その経験を活かし、2003年にスペシャルオリンピックス日本・東京(以下、SON・東京)の陸上競技のコーチに着任。練習拠点のひとつである多摩会場の責任者として、8歳から40代半ばまで幅広い世代の知的障害者に指導を行っている。また、「ウォーク&ラン」などイベントの企画・運営にも携わり、知的障害者や家族をサポートし続けている。
知的障害がある人に日常的なスポーツトレーニングと成果の発表の場である競技会を提供する国際的なスポーツ組織「スペシャルオリンピックス(SO)」。日本でも1994年に国内本部であるスペシャルオリンピックス日本(SON)が発足し、四半世紀にわたって知的障害がある人の自立と社会参加を支援しています。SON・東京の陸上競技のコーチとして18年にわたって指導する安田準さんに、スペシャルオリンピックスとの出会いや活動の魅力についてお聞きしました。
SON・東京での活動と、参加された経緯について教えてください。
SON・東京では15のスポーツプログラムがあり、私は陸上競技で主任コーチをしています。62歳だった2003年にスタートし、今年で18年目を迎えました。参加のきっかけは、SON・東京でコーチをしていた大学時代の陸上部監督から「人手が少ないので手伝ってほしい」と声をかけられたことです。当時はまだ会社員でしたし、ボランティアに興味を持っていたわけではなかったのですが、2カ所ある陸上競技の練習拠点のひとつが府中(多摩会場)にあり、たまたま私が近くに住んでいたこともあって、「とりあえず一回見てみよう」というところから始まりました。
現在はどのような関わりをされていますか?
今も毎週土曜日に、都立東大和南公園(400mトラックあり)で指導しています。コーチ陣は私を含めて4人で、毎週プログラムに参加するアスリートは25人前後です。最初の準備運動、ジョギングを含めトレーニングを行う際の補助、記録記入などはファミリー(保護者・家族)にも手伝ってもらっていますね。4年に一度の全国大会では、東京の選手団団長や陸上競技の選手団代表者として帯同しています。
アスリートを指導するうえで、どんな工夫をされていますか?
知的障害の程度によって理解度も、集中力も、競技レベルもまったく変わってきます。そのため、本当は一人ひとりのレベルに応じてマンツーマンで教えてあげるのが理想なのですが、人手が足りないため、今のところは能力別に少人数のグループに分けて練習するようにしています。また、彼らは自分の体調の変化をアピールすることが少ないので、とくに夏は熱中症、冬は発汗後のケアなどに注意するようにしています。それから、彼らは時折、周囲の状況に注意することなく、他の人が走っているトラックを横切ったり、急に走るコースを変更したりすることがあります。とても危ないので、私たちが常に気を付けるようにしています。
ボランティアなど、サポートする人たちの輪がさらに広がるといいですね。
そうですね。SON・東京の活動はボランティアの存在なくして語れません。とくにトレーニングボランティアが不足している状況です。先ほども申し上げたように、陸上でも一人ひとり能力が違うのでその才能を伸ばしてあげられるよう個々人に応じたプログラムを組みたいのですが、残念ながらそれが今は完全にはできていません。会場拡大や資金面の問題もありますが、トレーニングボランティアを増やすことが私たちの大きな課題ですね。
練習に参加するアスリートの成長や変化は、どんなところに感じますか?
継続してトレーニングすることで、少しずつですが体力及び技術は向上していきます。毎週のトレーニングの中で記録を取っていますので、記録の伸びである程度分かります。また、身体機能を養うために縄跳びを取り入れたりするのですが、最初は1度も跳べなかったアスリートが積み重ねることでできるようになります。できるようになった時の表情は明らかに自信に満ち、喜びに変わります。そういう時が我々の喜びでもありますね。ちなみに、私自身はコーチをするようになってから体調を崩してプログラムを休むということは、前立腺がんの手術で少し休んだ以外は18年間一度もありませんでした。この活動が自分の健康維持にも役立っていると思います。
長く指導をされてきた中で、印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
教えていたアスリートが世界大会の800mで銀メダルを獲得したことが、とても嬉しかったです。実は何年か前の全国大会に出場した時は失格になっていたので、喜びはひとしおでした。というのも、800mはスタートからの100mは決まったレーンを走り、ブレイクライン(注)からオープンになって順位争いをしますが、普段トレーニングで使用しているトラックはサイズが小さく、その練習が十分にできていませんでした。説明をして本番に臨みましたが、完全には理解できていなくてルールに反してしまい、結局2位でゴールしたけれど失格となり、参加賞しかもらえませんでした。本人は言葉には出しませんでしたが「2位なのになんでメダルがもらえないの?」といったような納得できない顔をしていました。コーチとして本当に申し訳ないと、責任を感じました。その後はコーチ陣とファミリーと一緒に、本番と同じ400mトラックで徹底的にトレーニングをして、どの大会でもきちんと走れるようになりました。だから、世界大会で銀メダルを獲得した時は本人もファミリーも本当に喜んでいましたし、私はただ速く走るだけではなく、ルールを理解してくれたこと、そしてそのルールに則って走って結果を出したことがとても嬉しかったのです。根気よく教える大切さを改めて感じましたね。
(注)ブレイクライン:スタートでは決められた自分のレーンで走り始めますが、バックストレートの直線に入るところでレーンを離れることができます。選手がレーンを離れオープンになる地点に引かれる幅50mmの円弧のラインをブレイクラインといいます。(「日本陸上競技連盟公式サイト」より)
改めて、スペシャルオリンピックスの魅力とはどんなところでしょう?
一番は、年間を通してプログラムを実施していることです。特別支援学校の学生の場合、卒業後は運動する機会がぐっと減ってしまう傾向があります。SON・東京の各プログラムはスポーツを継続できる環境があり、アスリートの健康増進、他のアスリートとの友好を深めることができます。また、国際的な組織であることからオリンピックと同様の世界大会が4年に1回開かれ、これに向けて都道府県単位の地区大会、全国大会(世界大会の予選を兼ねる)が行われます。オリンピックはチャンピオンシップを競う大会ですが、スペシャルオリンピックスは、可能な限り同程度の技術能力のアスリート同士で競技できるように「ディビジョニング」というグループ分けを行い、このグループの中で競うというルールがあります。つまり、100mを11秒で走る人も、15秒で走る人も、自分のグループで1位になれば、それぞれに金メダルが与えられ、その価値には差はありません。4位から8位の入賞者にもリボンが贈られ、参加者全員が表彰されます。誰にでもチャレンジのチャンスがあり、自己の最善を尽くすことを目的としているというのはスペシャルオリンピックスの大きな魅力だと思いますね。
安田さんの今後の目標や夢を教えてください。
日本におけるスペシャルオリンピックスの認知度向上を願っています。認知度はアメリカでは95%、日本はわずか10%前後といわれています。認知度が向上すれば、参加するアスリートも増え、それを支えるコーチも増え、一人ひとりの能力に合わせたマンツーマンの指導ができます。さらに広い地域で健常者と一緒に練習する仕組みづくりをして、「彼らはこんなこともできるんだ!」と多くの人に知ってもらい、知的障害者に対する理解が深まっていけばいいなと思っています。
(取材・文/MA SPORTS、撮影/植原義晴)