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パラスポーツインタビュー詳細

有安 諒平さん(ボート/クロスカントリースキー)

有安諒平さんの写真

プロフィール

名 前

有安 諒平(ありやす りょうへい)

出身地

東京都

所 属

株式会社東急イーライフデザイン

 東京2020パラリンピック競技大会(ボート)(以下、東京2020大会)と北京2022パラリンピック冬季競技大会(クロスカントリースキー)(以下、北京大会)に出場し、夏冬の二刀流で活躍をする有安諒平選手。二刀流に挑戦したきっかけや、東京2020大会・北京大会までの険しい道のりと振り返り、今後の意気込みについて伺いました。

パラスポーツを始めようと思ったきっかけは?

 視力に異変を感じたのは12歳の頃で、高校1年生の時に障害者手帳が交付されました。なかなか障害を受け入れることができなかったのですが、20歳の頃、半谷静香(はんがい しずか)さん(※)や川村怜(かわむら りょう)さん(※)と大学で同じクラスになり、眼の見えない二人と一緒に身体を動かすことで、初めてスポーツを純粋に楽しむことができるようになり、視覚障害者柔道を始めました。それが私のパラスポーツとの出会いでした。

※半谷静香さん…視覚障害者柔道でパラリンピック3大会(ロンドン・リオ・東京)連続出場の日本代表選手

※川村怜さん…5人制サッカーで東京2020大会出場の日本代表選手

ボートを知ったきっかけとなったのは東京都と公益社団法人東京都障害者スポーツ協会が共催した「東京都パラリンピック選手発掘プログラム」(※)だったそうですね。

 2013年に東京2020大会の開催が決まり、大会へ出場したいという気持ちが強く芽生え、競技を転向することも含めて情報収集をしていたとき、視覚障害者柔道の先輩から「東京都パラリンピック選手発掘プログラム」(※)について聞き、2016年に参加しました。いろいろな競技団体がブースを出していて、陸上や自転車、水泳などタイムを競うスポーツのほうが性格的にもあっていると思い、いくつか体力測定をした中で、手応えがあったのがボートでした。当時は日中仕事をして夕方から大学院の研究、夜に練習するという感じだったので、ボートはひとりでトレーニングできることと、体力測定した中で比較的リーチ(手の長さ)があったので、ボートをやろうと決めました。

※現在は「東京都パラスポーツ次世代選手発掘プログラム」

そこから東京2020大会まで時間がない中で、クロスカントリースキーを始めたきっかけは?

 東京2020大会に出るためには、練習時間を確保しなければならないわけですが、日中は仕事をしており練習ができなかったため、この時間を練習に置き換える必要があると思い、退職して2018年に現在の会社に転職しました。新しい環境では日中に練習時間があるので、夜は休むことができるようになり、練習環境も整ってボートのタイムも伸び、強化指定選手に選ばれるまでになりました。

 それでも時間がない中で、東京2020大会に出るためには何をすべきかというところを考え、練習をいろいろ組みました。ボートは単一動作をひたすら繰り返すので、ずっとそれだけやっていると体を壊してしまいます。そこで、違う動作も含めた別の練習メニューも加えていきました。その中で、クロスカントリースキーもローイングのトレーニングとして2019年に始めました。これは、オリンピックのボートチームが冬の合宿でクロスカントリースキーをやっていたので、それを追従してやっていったらそれなりに強くなるだろうと思ったのがきっかけです。

 最初は、将来的にうまくなってチャンスがあるならチャレンジしてみようくらいの気持ちで、まさか北京大会に出られるとは思っていなかったので、2週間に1回、ボートの練習の合間に体を動かしたいけれど別の動きをしたい、という時に組み込んで練習をしていました。その後、コロナ禍となりボートのクルーが集まれず、練習ができなかった時に、クロスカントリースキーでガイドを組んでいる藤田佑平(ふじた ゆうへい)選手とやりとりする中で、クロスカントリースキーで代表としてやっていける可能性があるのであれば、目標設定としては急ピッチで難しいかもしれないけど、北京大会を目指してチャレンジしてみようかという話になりました。

 ただ、クロスカントリースキーは非常にテクニカルな要素が強く、パワーでごまかしきれない競技です。そこで、どれくらいで競技の習熟度があがるかを考えたときに、ちょうど2030年に札幌に冬季大会招致という話があり、自国開催となる東京2020大会でスタートし、札幌で金メダルを獲って終える流れが一番きれいかなと考えました。これは大変な道のりですし、かなり厳しいことはわかってはいますが、現実的に実現できる可能性のある目標設定だと思います。

クロスカントリースキーの魅力は?

 アウトドアで自然を相手にする競技の面白さはあると思います。テクニックが重要で何年間練習を積み重ねてきたかがそのまま結果に出る競技で、一番速い選手が一番練習を積み重ねている、そこがわかりやすくて好きです。また、ワックスなども絡んでくるので、そこも面白いところです。

 パラリンピックに関しては、座って滑るシットスキーを使うクラスはオリンピックにはなく、腕だけで滑ることはシンプルにすごいと思いますし、他のクラスにはポールなしで滑る選手もいます。視覚障害クラスに関しても、ガイドとのコミュニケーションや見えない中で走るというのがとてもチャレンジングなスポーツだと思いますね。

視覚障害のスポーツは目を覆えばできるので、ぜひ体験してもらえたら嬉しいです

ボートとクロスカントリースキーの二刀流の中で、日々のトレーニングは?

 都内では部屋にトレーニングルームを用意してボート、自転車、スキーのエルゴマシンを置いてあって、部屋で練習できるようにしています。また、ボートは相模湖での水上練習や味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)でのトレーニング、クロスカントリースキーは青森や北海道などでの合宿、夏場も山奥に行ってローラースキーで練習しています。

 月曜から木曜はクロスカントリースキー、週末はボートと、東京と北海道を往復して合宿をかけもちする生活が1年くらい続きました。

ボートで出場した東京2020大会を振り返って。

 私自身は、ボートもまだ競技歴が浅くて急ピッチで進めてぎりぎりで出られるような状況を作ったというのが正直なところだったので、1年の延期をポジティブに捉え、メンバーが変わりながらも新しいチームで挑んでいきました。

 コロナ禍ということで直前まで開催の是非が問われていたので、開催されることにほっとしましたし、これで出られるとわかった時にじわじわと実感がわいてきました。最初は本当にやっていいのかなという不安がありつつ、始まったらみんな盛り上がっているなと実感しましたし、自分たちとしても一緒に盛り上がっていくような特殊な状況でしたね。

 ただ、日本は何とか推薦で出場できたという状態で、目標はもちろん勝ちにいくことでしたが、現実的には、世界の強豪の10か国が出る大会で日本の存在感をはっきり示していくことを掲げていました。結果としては、最後に底力の差で引き離されてしまいましたが、強豪に食らいついていくチャレンジングな戦いもできましたし、今回アジアで出場したのが日本だけだったこともあり、まず第一歩として4年後、8年後につなぐという意味では非常に収穫の多いレースだったと思っています。

クロスカントリースキーで北京大会に臨む心境は東京2020大会の時と比べてどうでしたか?

 心理状態はけっこう違ったのかなと思いますね。東京2020大会に出られたことで、コロナ禍での大会でも気持ちの面では落ち着いて対応できた部分もありました。東京2020大会はボートに挑んできた集大成として臨んだ大会でしたが、北京大会のクロスカントリースキーは自分の実力を考えても正直出られるとは思ってなかったので、東京2020大会が終わった次の日から駆け抜けていった先に、なんとか出られたということで気持ちよく臨むことができましたし、大会自体も楽しむことができました。

 北京大会は私たちの中では快調にステップアップしながら出場でき、最後は世界レベルの選手たちが出てくる中でやり切れたことに手応えを感じました。7位入賞は思いがけなかったのですが、今回は有力選手が参加できなかったという状況もあり、それを次につなげられるかは自分達次第だと思うので、日本のノルディックとしては、次のミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会に向けて、ひとり視覚障害の選手が入賞しているという実績に、自分たちの実力を追いつかせていけばいいかなっていうところで気持ちを切り替えてやっていこうと思っています。

今後もボートとクロスカントリースキーの二刀流でチャレンジ?

 会社と相談してデュアルでやっていく体制で勤務を組んでもらっていますし、両方の競技で支援していただくということで契約を結んでいますので、どちらもチャレンジしていきます。

 ただ、ボートに関してはクルーとのチームスポーツで、私たちの混合舵手つきフォア(PR3)というクラスはクルーが5人ですが、メンバーに代表クラスが揃ってこないとそもそも出場ができません。自分がやれば実力があがっていくクロスカントリースキーをベースに、両方ともレベルアップを長期的に続けてしっかりチャレンジしていくということになると思います。とはいえ、平行していくことで両方できないということもあるので、何が目標かというところを見据えて比重なども考えていければと思っています。

 始めたころは、まずはパラリンピック出場が目標でしたが、今回夏と冬に出場したので、次はどうしたらメダルをとれるかというところを考えながら挑戦していきます。

幅広く競技に取り組んだり、様々な活動にも積極的に取り組む原動力は?

 高校生までは自分の障害をマイナスに捉えていましたが、そこから自分自身の価値観を変えてくれたのがパラスポーツです。それが自分の障害をポジティブに捉えるきっかけにもなったので、障害で悩んでいる人たちが私の経験を聞いてもっとスポーツに興味をもってもらえたり、価値観が変わったりするきっかけになれば嬉しいと思っています。何がきっかけになるかはわからないので、私もやれる範囲でとにかくやろうということで動いてますし、講演でお話する上でも、私自身もチャレンジし続けているなかでここまできたんですよという話ができればいいなと思っています。競技を引退したあとも伝えられるようなことがあれば嬉しいと思うので、今やれることをやれればという思いで、高みを目指して挑み続けたいですね。

北京大会前に産まれた娘が競技に取り組むモチベーションの源

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